MILE NAGAOKA 2011-2014 from Mile Nagaoka on Vimeo.

 

「俺は「地域」という浮ついた言葉が大嫌いだ」ということに自覚しだしてから、まだそう間が経ってはいない。それは、或種の幻想や逆転したコンプレックスが吐く言葉であり、「地域」というものの実態そのもの、そしてそこに住まう人々は捨象されているからだ。

 

気怠さと旅行気分の陽気なロケで撮られた幾多の映像たち、そこに「人生」と「顔」が写っているか。

手仕事や悲喜こもごもが、写っているか。無論過剰なまでに切実なものを追う先達がいるのも知らんではないが、そういう人にどこかで遭うことは稀である。(あ、一度富士山を臨む早朝の山頂で、山の写真家と出会ったっけ)

 

自分が「産土」という言葉に込めた(いと思った)のは、そういった「地域」や手垢でギトついた「グリーン」等という言葉たちと、その無邪気な吐露者等への明確なアンチテーゼであった。

 

 

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21 4月 ’14 Client Works

「日本に歸(かえ)る」

このキャラバンの内容を、一言で表すならばそうなるのかもしれません。
実際に正月で里帰りされた方も多いでしょうし、そうでない方も多いでしょう。
ですが、その「故郷」の近辺に、都市伝説や噂や「・・・らしい」とか、言われているような場所がないでしょうか。

日本という国は、ほんとうに多様な国であると、このキャラバンを通して感じました。飛行機に乗ってしまえば、ただの点景か雲の下としてしか認めない、三・四時間程度で北から南まで行き来できてしまうような小さい国ですが、その点景に赴き、参詣してみると、想像を絶するくらいの深みと、違いと、類似性があります。

それは、「ちょっとだけ奥」だったり、「このトンネルを抜けた先」だったり、
「あそこの山の中」だったり、「遠くに見える島」だったりするはずです。
行こうという意思を持てば、そんなに難しくはないところです。

そういう「僻地」や、「秘境」もたしかに僕たちの国であり、連続した道の先にあります。そこに知らなかった方言があり、もの凄い祭や面白い形のお面や装束があり、踊りがある。鹿やタヌキやイノシシや熊を狩り、様々な山菜や自然の恵みを頂く文化がある。それらが、本来僕たちの文化的拠り所とするべき「日本」だったのではないかと思います。

その土地ゝゝが苦しんでいます。ご承知のように高齢化、過疎化、そして獣害です。
又、山に住む人々にとっては、この30年たらずの「森の放擲」によって起こる、
生命の危険につながるような様々な災害が起こりつづけててもいます。
それは、僕らにとって無関係ではないのです。それは「ちょっとだけ向こう」で起きているのです。

「過疎」あるいは「限界集落」と表記すると、そこに塗炭の苦しみや、孤絶された悲壮感のような印象を抱きますが、実際に「ちょっと先」へ踏み入れてみると、そこには楽しみや笑いやありえないほどの思いやりや暖かみがありました。しかし、その人たちの闊達さの裏にひそんでいる孤独は、とても深いとも感じもしました。

今回五人の海外(フランス、イギリス、ニュージーランド、マレーシア、シンガポール)の個性あふれる優れた作家たちと、北は山形から南は沖縄まで旅をしてきて、
僕はそういう「日本」が、本当にかけがえのない、貴重な、守るべき、受け伝えるべき、愛おしむべき存在であると強く思うのです。

企画を作っている段階で、「結び目」という言葉が浮かびました。
自然と人、森と人、神と人・・・或は都会と田舎。そのような結び目を形作るための、様々な「糸」を拾い集め、探し求めてきたように思うのです。けっして完全ではありませんし、網羅もしきれていません。ですが、これは僕なりには、精一杯飛び回った記録なのです。どうなるかどうかは分かりませんが、できれば、今後も続けていきたいと思っています。

そんな映像のサワリを、ちょっとだけ見ていただきたいのです。

7つの地域を繋げた本編は、2月10日奇しくも旧正月の日に、神山の改善センターで上映します。お時間がある方は、ぜひ入らして頂ければと思います。

その後5つの別個のドキュメンタリー作品となることを目指して編集していくことになります。

【森と暮らしキャラバン第二回 長野飯田、山梨早川町ショートルポ】

 

ー忘れないうちに。

 

今朝ほど、新宿からの夜行バスで徳島に辿り着き、Dの迎えにより神山に戻った。それらすべてが幻であって、この家から一歩もでなかったかのような錯覚に囚われる。数名しかいない極度に鄙びた村から新宿の夜の雑踏へとテレポートする感覚は、なんとも形容のしようがない。自分が相当久しぶりに東京に立ち寄ったことも、その感慨を幾分強めてはいるが、蒸し暑く明るすぎる夜空、そしてそこにプカプカと浮かぶネオン光に照らされた入道雲の断片、行き交う多様かつ一様な人々、それらに若干の寒気を覚えつつ、いつもの山間に立ち戻り、倒れ込んだ。

 

痛風の発作後の甘い痛みと、巻き爪の悪化に伴われた、長いようで短いこの一週間は、レンタカーを借りた名古屋から長野県飯田市遠山を抜け、山梨県早川町に至る旅であった。赴く前から、気が重かった。飯沢耕太郎の『イルカと墜落』ではないが、行く一週間ぐらい前から「42」という数字が都度都度目につき、嫌な感じが少なからずあったのと、一週間前から痛風発作が出て、靴を履くことすら出来なくなってしまっていたからだ。一歳未満の子供との別離がいつになく後ろ髪を引く。

 

そんな旅ー。

 

図らずも、長野は父方の故郷であり、早川は母方の遠い先祖の土地だと出発直前に母に聴いた。母の旧姓は「加倉井(かくらい)」と云う。水戸の一部の地域にのみある名前で、加倉井姓を名乗る前は、波木井と云った。日蓮を匿ったと言われる波木井実長(南部実長)を祖とする家系で、山梨県の広大な土地を領し、日蓮を追っ手から匿ったゆえ、加倉井とその子孫が名乗ったとも言われる。ルーツを探る等という目的は皆無だった筈なのに、なにかザクっと引っかかってしまうような感覚。不思議と未見感がなく、実家に帰ってきた時のような感興を催した。

 

ー忘れないうちに。

 

前回の徳島県木頭村もすごかったが、今回もまた例に洩れず、途方もなくすごかった。日本の「森と暮らし」をテーマに据えると、ここまでディープな辺境に飛んでいくものか。ある著名な映像作家から肩書きを「辺境活動写真家」に変えろ、と言われたがさもありなんという日々。はたまた『日本辺境論』というのがちょっと前に売れたが、僕の赴く先は、真正の辺境in辺境と洒落ている。

 

底稲集落

 

 

長野県飯田市の遠山と呼ばれる山間の盆地がある。イリ盆の日に入ったため、蝋燭や提灯が所々で揺れていた。そこで最も記憶にのこっているのは、底稲集落という名の廃村のことだ。無論、今はもう人は住んでいない。誰かに村だった、と言われなければ、ただの雑木林だと思って看過してしまう。いや、看過等できようはずがなかった。そこは荒れに荒れてしまった山道を、30分近く決死の覚悟で登らなければならない場所にあるのだから…。廃墟と化した神社と、神主の子が売ってしまった神木の切り株。鹿や猿が荒らしたと思われるビンや缶や小さな生活用具がそこらじゅうに点在していることが、かつての村を辛うじて想起させる。鹿の口によって丸裸にされた杉や白樺の木々の僅かな隙間に目をやると、うっすらと家らしきものが見えてくる。

 

緑川さん

 

 

ここに案内してくれた緑川実男さんは、この集落最後の最後まで残った家族の一人であり、最も年の若い山の下への廃村による移住者で、今は土木建設業を営まれている。パソコンマニアらしく、自作PCの話が出る。Core2のi7に近いうちにしたいと言われ絶句する(笑)彼はまだ只独で年に数度か、この村を訪れている。お父さんが残してくれたという様々な樹木らを、そのまま見捨てることが出来ないのだと彼は言う。その目には諦念、というよりも怒気に近いものがあるように思われた。

 

茂倉集落

 

 

山梨県南巨摩郡早川町、前述したように日蓮の逸話からある種の聖地となっている町。ここもかつて、秘境中の秘境と呼ばれ、陸の孤島と化した集落が数多く存在する。奈良田というダムに沈んだ集落出身の深沢守さんから、奈良田には信玄のハッパ(=忍者)が住んでいた説があると聴く。ダムになるにあたって古い家を取り壊した時、天井から大きな仕込杖が出てきたそうである。温泉を経営しながら古参の猟師でもある彼の同級生が、早川の中心部と奈良田の間から山へかなり進んだ山中にある茂倉集落に住む深沢礼子さん。彼女に頼み、数週間前に凡そ50数年ぶりに催したという雨乞いの儀式を再現しもらうことになった。雨乞い、である。誰が21世紀の只今にそんなことを未だにやっていると想像できるだろう。茂倉に着くと、カイトバタケ(傾斜地にある畑)の中に様々な野菜が植わっており、塗炭屋根の建物が散見できる。はるか昔から、というよりは比較的新しく開拓された集落なのだろう(といっても半世紀~一世紀はあるだろうけども)。

 

茂倉の90代の老婆

 

 

深沢さんの号令の下、続々と村人が集まってくる。みな一様に背丈が小さい高齢者である。後で訊いたところ、村人の8割方が集まってくれたようだ。なんという結束。そう、ここは結束で持っている。Iターン等の部外者が入ってくることになるとしたらどう思うか?と尋ねると、無理ではないが村の行事や仕事を共にやってくれなければ無理だという答えが帰ってきた。地方の村での自給自足生活で、夢の桃源郷をと望む都会人間との乖離がここにはある。強烈に。村人たちは神社の境内をグルグル回りだし、「せ~をだして~たも~れ~」と輪唱し始めた。手にはバケツやガラス瓶などを持ち、それを叩きながら回りだす。天狗やお天道様に祈るのだという。彼らの旋回が終わった途端、雷が轟音を立てて落ち、雨が降ってきた…。