『産土ー壊ー』予告編

「脱帽」
2012年の大晦日にしたように、今年も最後の日に合わせて映像を作ることができました。
「続く」という文字で終わった『産土』の続編となる、『産土 ー壊ー』という作品の長尺予告です。
詳細な説明は今は省いておきますが、ややもすると忘れてしまう大事なもののことを、想うきっかけに
なったらよいなと思い、敢えてこの日に見れるよう、ちょっとだけ頑張ってみました。
(それにも増して大変な本編の編集作業が残ってはいるのですが…)
僕自身は編集しながら、不覚にも何度も何度も泣いてしまい、中々捗らなかったです。
12月に山梨県早川町で『産土』の上映を終えた後、
自分の無力さ、非力さについて悔いました。
「なんかの答えがあると思って来たのですが、厳しい現実を再度突きつられた」という
声も頂戴しました。
自分がこの地域のことをとりあげても、なんの解決にもならないではないか。
上映を終わった人々の顔に、なんともいえぬ悲しさのようなものが漂っているな、と。
自分自身は前作、悲観を土台に製作しませんでした。むしろ楽観すらしていたといっていい。
おそらくは東京の空気を引きずる、現実を知らぬ若造と外国人の或種の陽気さがあったかもしれない。
たとえば、久高島の秘祭・イザイホーを「もう終わってしまったこと」と敢えて言い、
きっと復活するだろうということを暗に匂わせたつもりでした(僕はそう感じたのだから)。
が、そこに「希望」を読み取れた方はどれくらいいたでしょうか。
福島を回ってから軽度の鬱のような状態になり、まったく癒えない疲れを引きづって、夕べには室戸の太陽を見れば、
明日には敦賀から日本海を望むような生活をしてみて、どこにも逃げられないような感覚に襲われました。
産業道路や高速道路や、バイパス付近の風景はどこも異様に似すぎていて
いったい自分がどこにいるのか分からなくなってしまい、あるシラケに似た感情が出て来た。
上映会を終えて、再度袋井市でび撮影後、浜松方面に移動しながら、今の今迄撮影してきた地の神の祭のような原始的な信仰がありながら、その当日に、老人を否む中年の夫婦の罵声や、パチンコ屋や、着飾った若者達のデートや、享楽にあけくれる日曜日の浮ついた町並みがどうしても耐えられなくなり、吐き気のようなものが出て来て、どうしようもなく車を停めてじっとしていました。町並みが自分の実家のある、四街道市から千葉市へと至るそれに酷似していたことも、おそらくその吐き気の遠因の一つだったでしょう。
目の前の、防波と燃料という役割と、景観美を誇った松林が、海から人を遮断するコンクリートの堤に代替される。
まるで獣害によって電流のとおる電線に囲まれた「人間居住区」に住む山の生活のように。
江戸の大津波から人を救った命山という小さい岡の話しを聴き、最初の取材時にはつくりかけていた「現代の命山」が
2度目にはほぼ完成されて小高い公園として、非力に、かつもっともらしく眼前にある事を知ったけども、
いずれこの遠州の海岸線のかなりの部分が、防波堤に囲まれ、その土はあの山から切り出すのだ、
そしてそこにニュータウンを建設する話しがもうすでに決まっているのだ…といったような話しを又聴き、
なんのために自分はその山向こうの祭や森を切り取っているのか、まったくもって無力ではないかと…。
しかしそれでも、自分は諦めないつもりであります。そう、おぼろげに呟いてみる。
「放射能を『荒ぶる神』だと私は捉える」と、或る福島の女性から聴きました。
幼稚なポジティブシンキング等ではなく、それはもはや祈りの領域です。
そこに、僕自身は希望を見出すことができました。
自分のやり方は、プラカードを掲げてシュプレヒコールをあげることではなく、
映像をつくることしかできないですが、それでも映像の力を信じれるようにはなった。
11月に嫁の父が他界しました。彼は目が不自由で、視界の8割くらいはほぼ見えていなかった。
しかし前作のDVDを僕が渡すと、なぜか毎日亡くなるまでそれに見入ってくれていたようでした。
作り手としては、前作は多いに不満が残るデキです。時間があれば、全部直してしまいたい。
機材の準備も取材そのものの期間も、全部もう一度時を戻してやり直してしまいたい。
が、それでも何かを感じてくれた人がいる。
8月にカナダで上映会をやった時、次作に繋げてくれと円に換金された募金の
一万3000円を手渡されたました。海外にも、僕らの映像を待ってくれている人がいる。
時間も予算も人手も、多いに限られている作品ですが、それが「潤沢にあれば」という発想を
もう捨てようと思います。予算や時間の多寡にかかわらず、これは2013年の僕とその仲間達が、
精一杯やった結果なんですから。僕には視聴率も編成もスポンサーのご意見もないのだから、
自分自身の拙さも含めて、それが「現在」なのだと、腹を括って、笑いたい。
自分に出来ることは、大事だと思う場所に勝手に赴き、帽子を取って「はじめまして」と言い、
「撮らしてくれませんか」と問い、それを映像に納め、世に問いかけること、それだけです。
一つ何かを撮ったことで、また何かを撮らなくてはならなくなる。
撮り残し、撮りこぼし、撮り忘れ、撮りそびれます。それも含めて、自分自身です。
しかし僕には、日本のあちこちに、親のように、祖父や祖母のように、思えるような
人生の師が、たくさんできました。それが財産です。
心配してくれたり、叱ってくれたり、古いものを教えてくれる人々が…。
諦めるということではなく、教えて下さいという気持ちで、僕は帽子をとって
その人たちの想いを傾聴してきた。(無論受け入れられない事もあるが…笑)
ともかく、これはそういう記録です。
そして又これは、予告編にもあるように、神山という小さな町で生じた「縁」で集った仲間が、
「小さな勇気」をだして製作したことを特筆すべき映画です。ほとんど、映画作りの専門家はおりません。
しかし、ここまでには形にする事ができました。
できればこれをご覧になられた奇特な方々にも、ぼくらの仲間になって貰いたい。
まだつくらなくてはならないものが、いくらでもあるのですから。そう願っています。
あと何年続けられるかわかりませんが、
精一杯続けていく覚悟だけは強め乍らの大晦日の晩。
今年もみなさま、たいへんお世話になりました。
(できれば下部のHDボタンをONにし、全画面でご覧下さい)
長岡 参(喪中により、新年のご挨拶と換えさせて頂きます)