『情熱と痛風』

サッカー日本代表の勝敗に、さほど関心を示さなくなったのはいつからだろうか。
たしかに、これまで僕はある途方もない熱狂に包まれていた感覚があった。手と額に汗を掻き、
多くの局面や展開に肝を冷やしては、選手の名と各種悪態を時折絶叫したものだった。

今、テレビをつければ夢の世界=ワールドカップが繰り広げられている。(多くは夜半だが)

そして我らが代表は世界の壁にまたしても阻まれようとしている。(二試合を終えて)
が、そんなことはどうだっていいのではないかという禁断の意識がもたげている。
腫れた第一蹠骨に湿布を貼りつつ、過去の記憶をかろうじてたどってみる。

98年のフランスで、今や解説者席に中年面を晒す城や中山や秋田らが歴史的初出場に顔を紅潮させながらみすぼらしい炎の刺繍のあるユニフォームをまとって無惨に散った時。はたまた戸田の真っ赤なモヒカンヘアーも懐かしい2002年に、柳沢敦が「急にボールがきた(QBK)」と言って失笑をかったのを酒場で見知らぬ人々と絶叫しながら目撃した時。そして2006年のブラジル戦で中田英寿が「旅人」へと属性を変えながら仰向けで号泣しだした時…それらの時、場面の只中で、おのれの感情はやおら一喜一憂し、俄にアップアンドダウンしたものだった。

…僕にとってW杯の季節は、丁度痛風の季節である。無論梅雨の湿気によるものだ。2010年の南アフリカ大会、失意とともに会社を辞めたばかりで、祐天寺の安アパートで尿酸値と血圧と各種分泌液の上昇による感情の狂奔にこらえつつ、テレビの一つもないその狭い部屋で、彼女の携帯電話のワンセグモードから我らが代表が決勝トーナメントへと進む様を目撃したのであるが、しかしかつてのような情熱が身体をつんざくことはその時点ですらなかったのかもしれない。しかし気怠い朝の寝床のように、まだ熱狂から醒めたくはなかったのかもしれない。(それよりも痛風の鈍い痛みがつんざいていたこともあるのだが)

長々と書くのも気が引けるので、あっさりと終わりまで書き上げよう。

 

 

中2でJリーグが始まって以来、自分にとってサッカー選手とはチャラチャラとはしているものの、無骨な年長者だった。ギリシャ戦後のコラムで都並が書いていたように、彼らは往時まるで喧嘩するように試合をしていた。今や代表で最年長だという遠藤と同じゴールデンエイジ世代である自分には、やはりかの本田にすら今の普通の二十代の若者たちを見るような思いを抱いてしまう。(イタリアのひげ面のピルロですら自分より年下であるのが怖い)かつてスポーツ新聞の年始の妄想のような記事で、三浦知良がACミランでグーリットだかマッサーロだかとツートップを組むみたいなものを熱心に読んでいた自分には、まさか同じ日本人がそのミランやインテルやマンチェスター・ユナイテッドの所属になることなど想像だに出来なかった。だがそのような彼らが、采配がお世辞にも巧みとはいえないイタリア人の指揮官はおいておいて、メンタルケアの本まで出版して『超訳ニーチェ本』を愛読書とする長谷部誠を筆頭に、「切り替え」や「気持ち」「信じる事」等を語り出す時、かつて青春時代のアイドルが三流ポルノに出演してしまったのを知った時のような嘆息というか、何か一抹の違和を感じずにはいられなくなってしまった。上述の都並が94年大会の最終予選時に骨折を隠し通してプレイしていたような「気持ち」との大きな誤差を感じ得ずにはいられない。自分にはその誤差への違和の正体がなんだか分かってはいないし、同時にそれを論理だてて説明できるまで解剖しようとも思わない。だがそれは長友が「世界一のサイドバックに」と豪語したのを耳にした時にまず漠然とだが甘く匂うように感じられたものだった。そして多くの無意味にしか感じられなかった4年間のテストマッチを通じその感覚は発酵〜醸成し、今回のギリシア戦において本田が二度も遠藤にフリーキックを譲ってしまった時に明確なものとして結像した。もし、細い眉毛が今一似合わない吉田の代わりに、闘莉王か中澤がディフェンスラインに陣取っていたなら、まだ違う考えをもてたのかもしれない。だが、自分には確実になにかとても取り返しのつかないような何かが起きてしまったという残尿感のような感覚が今もって拭えないのである。

(尤もかくいう自分もゴシップやシンデレラストーリーの類は大好物だということはここで白状しておかねばなるまい。本田が如何に世界との差を縮めるためにオランダで部屋に目標を書いた紙を貼って臥薪嘗胆したとか、長友が応援団から如何にのし上がったかとか、大久保の亡き父との、はたまたエヒメッシ斉藤の亡き母との逸話等々を見逃してはいないという事も…。)

足早に結論を出そうとするならば、それは確実に時代が進んだという意識かもしれない。みな年を取り、線の細い若者に取って代わられたということ。又、松田直樹のような選手が、死んでしまったということへの鈍い痛み。

関根勤が「敗戦に文句を言う奴は、自分の半生をレポートに書いて出してから文句を言え」とまっとうに言ったことにも、自分は反論する気もないし、おそらくレポートを書き上げることもできない。つまりどこにでもいる日の当たらない庶民の一人として、その内面を吐露しているに過ぎない。ギリシア戦の中継で、北澤の横でしゃべっている妙ちきりんな花飾りをジャケットにつけたジャニーズの若者はいったい誰なんだという問いすら持つことも既になくなったつまらない傍観者だ。色々なことに冷めてしまったものだと思う。

冷めたついでに茶を濁したい。

自分は今、ワールドカップ前の尋常ではない数の人が集まったデモの方に心がある。同時に莫大な放映料を自分の懐に入れるFIFAの胡散臭さと、とても違和感なくサッカーに混ざり込んでいるコカコーラのCMと、本田に10番をつけさせないアディダスの隠れた権益と、日本の日曜朝10時に設定された放映時間の居心地悪さに思考を向けてしまう。各国よりどりみどりの「美人サポーター」たちよりも、肥えきったプラティニの醜さの方が気になってしまう。といって自分には有り難くも仕事があり、その中継をリアルタイムでもはや見ることすら出来なくなっていた。だが習慣的にネットの特設サイトを朝晩チェックしながら、中南米やアフリカの貧しい国々、イランやボスニアや東欧の不幸な現実を抱える若者たち(それがどんなに老けて大人びて見えようと)が自国の或種涙ぐましいナショナリズムの発露としてワールドカップに人生をかけてしまうことまでは批判も否定もしない。

これから過度に辛辣な的外れなことはセルジオ越後が、しっかりとしたことは後藤健生や宇都宮徹壱が、癖のある英雄譚は金子達仁がいつものように語るだろう。そして自分はまた飽く事もなくそれらを読むだろう。予選突破しようとしまいと、関根の言う通り文句の言える立場にない自分が関心があるのは、これから益々年をとっていってもサッカーというスポーツに興味が持てるだろうか、ということである。老人でも小さな地元のクラブで毎週試合をするというブラジルのように、サッカーはこの国に根付くだろうか。(おそらく或る程度はするだろう)自分の生きている間にあの黄金のトロフィーを、たとえばバルセロナのカンテラにいる久保君らの世代の日本人が掲げることになったとして、俺はそれに熱狂しているのだろうか、ということである。願わくは、それに心の底から熱狂するほど純粋な人間であっていて欲しい。…それが出来るのなら。

世代交代や自分のオジサン化や次世代への危惧みたいなことだけではない、どうにも熱し得ないものがある。つまり、常識では考えられない(無論311のことだ)来るべき東京五輪のことであり、ビジネスに陵辱されつくしたフットボールと、それぞれの断末魔のような愛国心へのやるせなさのことである。

クストリッツァの『マラドーナ』を見た人なら、ディエゴ・マラドーナは、神の子であるとともに、南米の革命家の系譜であることが理解出来ただろう。限りなく政治的なスポーツであるがゆえに、86年のイングランドとアルゼンチン戦に見る戦争の代替性や、94年のコロンビアのエスコバルのような事態はまだ終わらないだろう。だが今や世界中の筋肉隆々たる若者達が如何に躍動し、人生を注ぎ尽くそうと、それはもはやプロレスと変わらないのだ。(いや、そもそもが変わらなかったのかもしれない)金の権益の配分と新型テレビの普及とスター選手のレプリカユニフォームの販売へ向けた「作られた情熱」であるワールドカップの只中で、僕らは青いポリ袋でのゴミ拾いのみを世界に誇示して、粛々と次の世代へと移り変わっていく。

ともかく、あと2日もすれば冷水とモーラスバップとロキソニンとボルタレンの座薬により僕の足の腫れは引き、また日常が帰ってくる。

(この項了)

 

 

22 6月 ’14 mileblog