MILE NAGAOKA 2011 – 2014

MILE NAGAOKA 2011-2014 from Mile Nagaoka on Vimeo.

 

「俺は「地域」という浮ついた言葉が大嫌いだ」ということに自覚しだしてから、まだそう間が経ってはいない。それは、或種の幻想や逆転したコンプレックスが吐く言葉であり、「地域」というものの実態そのもの、そしてそこに住まう人々は捨象されているからだ。

 

気怠さと旅行気分の陽気なロケで撮られた幾多の映像たち、そこに「人生」と「顔」が写っているか。

手仕事や悲喜こもごもが、写っているか。無論過剰なまでに切実なものを追う先達がいるのも知らんではないが、そういう人にどこかで遭うことは稀である。(あ、一度富士山を臨む早朝の山頂で、山の写真家と出会ったっけ)

 

自分が「産土」という言葉に込めた(いと思った)のは、そういった「地域」や手垢でギトついた「グリーン」等という言葉たちと、その無邪気な吐露者等への明確なアンチテーゼであった。

 

 

 

 

そこで圧倒的に欠如しているものはなにか?結論は最後に述べることにする。

 

3年と数ヶ月分のオノレの仕事を改めてこうして俯瞰してみて、

途方もない時間をあちこちうろついたんだな、という感慨と共に、思うことは多々ある。

 

それにしても「これは僕の3年間のフィルモグラフィーです、ぜひご覧ください!」のような事を言う気分にはなれないのはなぜだろうかと損な性格を嗤ってみる。

 

この四年間(めんどくさいから四年とする)で、神山という場に移住してから、シグマのズームレンズを1本、マンフロットの一脚を1本、そして外付HDDを二台、あとiMacが一台おシャカになった。

 

機材、機材なあ。結婚資金を注ぎ込んで買い求めた5DMark2(最近は出番が少ない)に加え、仕事を通じMark3と数本のレンズ、韓国製と台湾製のスライダーと、トルコ製のあまり使えなかったスタビライザーをゲットした他、新しいメイン機のiMacと『産土』の編集のため、清水飛び降り式に買った(すべての情報が入っている)15TBのHDDがある。あとは現場で微調整が効かず実践ではほぼ使えなかったマリーンを手放し、タイムラプス用のコントローラーは車の後輪で轢いてしまうという惨事があったが、なぜかまだ動いているくらいか。業界が4Kやらの様々な新しいカメラや技術に喜々としている中で、(RED等使う機会はふえてたものの)考えてみれば、DSLRの映像を、しかもドキュメンタリーを撮るということを独学で亀のヨチヨチ歩きで進みながらここまでやってきたような自分の環境面のすべてが上記である。個人で買える限度の範囲で(無論年配のカメラ小僧たちの方が素敵な機材をぶらつかせている)買ったもので、なんとか「映画」という形式のものまで自力で作ることが出来るようになったことは、感慨をどれだけ深めても足りないほどのそれがある。

 

結婚し、子ができ、犬を飼い、18万のやたら燃費の悪い中古車を買い、なんとか町民税と家族分の国保を払っている。そういう中で仕上がった、これらの映像たちは、美学的感性でのみ考えると、良い出来なのか自分には分からない。自分以上に美学的に巧く、漂わせるようなものを撮る人間は世界中にいるだろう。はたまた技術論をまくしたてるプロのカメラマンからすれば、自分は素人のようなものかもしれないと今にして思えるようにはなった(おそらくこれは成長)。これは自分がただのアマという意味ではなくて、職業的に長年下っ端からのしあがり、座学もきっちり仕舞い込んだ「プロ」ということになるが。自分は映画学校で座学と脚本を学び、雀の涙程度の現場経験を積んだ他は、それらしき奉公経験がない。又レンズ収差や色味の細かい何ケルビンだのという話し、光学的な云々やコーデックの仔細な話しなど、自分にはチンプンカンプンである。ただ、カメラを持って、感じるままにやってきただけなのかもしれない。(些少の技術はそれはあるけれども)

 

が、同時にこの映像たちは、僕という人間が存在しなければ、情報化されえなかったものたちでもある。ギークにのみ浸っていては、残せなかったもはや消えてしまった時間である。どーにかこーにかして、その場に辿り着かなければ撮像できなかったものたちであるからして、そういうことは誇ってもいいような気がする。何百人の人にカメラを向け、何百人の話しを聴いただろう。こんなことは「参/マイル」と名乗る前は想像だに出来なかったことである。

 

まず、自分自身が、東京から「地域」と呼ばれる場において寝起きして、多くの時間を過ごして初めて分かるものがあった。極論してしまえば、自分の仕事はそれだけなのかもしれない。ただ、反省もある。自分はどこかで彼らの生と自分の生を切り離していた。どこかで、傍観者であった。神山の老婆に惚れてしまい、彼女の家の前に居を据えたというのに、自分はどこまでも傍観者であるという意識が拭えなかった。自分が存在してる時間軸がどこかのか。撮影事には、撮影者として、当然その場にいるのだが、どうしても編集という行為の事をどこかで想起している自分がいる。編集されていない時間は、まだ時間として成立していないかのような錯覚を抱く。ゆえにその老婆のことを撮影し、編集していないその三年分の時間は、僕にとっては、まだ生起していない或種の「時間未然」であるような気もする。三年分と言ったが、主要なシーンはだいたいその最初の半年の間にすべてが撮影されている。それ以降今に至るまで、『産土』を二作品作り、いくつかの広告の仕事をした。が、まだ僕にとってはレンダリング前の時間が残っている。それを明日から始めようと思っている。

 

結論を述べるんだったか。欠如しているものを言うのだったか。

 

田舎へ桃源郷を見ようと、憧れのスローライフを提唱しようと、薪ストーブデビューを果たそうと、オルタナティブやメンヘラ中/後の保養に来ようと、それは自分たち自身の人生の惰性的延長であり、その場そのものを無意識に否んでいる。その場そのもの(つまり産土)へ、なまっちょろい投射機で投影した幻影をツマミにして、あてどない自慰行為を繰り返しているに過ぎない。里山をもう一度思い出そうとしても、強迫観念的にその下に「資本主義」を付け加えてしまう浅ましさを捨てられないでいる。

 

死んで自らも同化する土。また生まれる時に敷かれる土。すなわち産土的感覚が、度外視されている。それをカメラを持って撮影するということは、その場の神との対話であり、応答であるということを自分はおそらく、言いたいのだと思う。それはコマーシャルを作る場合でも、自分にとってはあまり変わらない。

 

そんなような、めんどくさいけれど、そういう時間を刻もうとする同志に出会えたら、面白くもない世界が少しだけ、面白くなるだろうか。

 

またこれから、40になるまでの5年間、そういう仕事をしたいと夢想して、この長文を終える。

 

長岡 参