ようやく、映像の編修の追い込みと上映という緊張感から解き放たれたが、
こなさなくてはならない仕事は減らないし、同時に風邪もひきかけているような現在、
先日発表したパンフレットの文章を、また字数制限のために添削する前のものを掲載しておこうとおもう。
以下本分。

 

「丁度良さ」

なんとか二年目のキャラバンも無事終えることが出来た。

今振り返ってみると正直言って、そもそもこんな無謀な企画が実現出来るとは思ってはいなかった。
日本の山村漁村の現在を廻ると言うことは数秒で済み優しいが、実際に行くとなると大分事情は変わる。

身体を旅の中に預けると、それまでの意図や推論は消え去ってしまう。旅の時間は目まぐるしく、新奇な物事が入替り立替り登場するため、理解が追いつかない。撮影した素材を編集し終える段まで来て「ああそういうことだったのか」と首肯けることばかりなのである。

そうやって一年のうちの何割も古色蒼然としたものばかり見続けていると、ふと数時間で戻れる都会に戻って我に返ると、なんともいえぬ徒労感に襲われる。「限界」の老人の話しばかり聴いていると、都市の若い人々の多幸感の横溢がたまらなく遠く感じて、子供と老人の間に位置する自分自身の存在を見失いがちになる。

それでもなんとか幾つもの「今日」を歩いてこれたのは、多くの先達たる民俗学者や郷土史家、教育委員会の担当者等、何かの散逸を必死に守ろうとしている人々の熱意のおかげだったと思う。

無我夢中でしがみつき乗り切った初年度は、後から考えるともっとできたのではないかという想いが幾度も去来し自責の念が駆け巡った。その目の前に起きていた事象を把握するには、僕らは余りにも無知で門外漢であった。そんな自省とともに迎えた二年目は、機材もキャノンの5Dマーク2からマーク3になり、c300やRED等の高価な機材も現場に投入できるようになったりし体制も少しは整った(といえ以前脆弱には変わりがないが)。そしてなによりも本質的な事、その深奥に迫りたいと思った。本質…当世のドキュメントを作るものとして当然福島や原発を避けることはできなかったし、「森とともに生きる」と号した手前、森の本分を知らねばならかったし、恐れ多くも『産土』と題してしまった手前、それがそもそも何なのかということに答えを見つけねばならなくなった。無論、それは非常に困難が伴う旅であった。だがやると言ったからにはやらなければ恥ずかしいし、人生は一度しかないのだから挑まねば損というものである。それは僕なりの責任感というものなのかもしれない。

出立にあたり「スケッチ」という言葉が手懸りとして浮かんだ。幾多の場所で膨大な会話や風景を記録したところで、二時間程度の映画で語れるものは僅である。体制に限界があるので十全で執拗な取材もできるわけがない。ゆえに僕らが取れる手法は「スケッチ」ではないか。大事なのは、こちらの心の振幅を素描することではないか。それを芭蕉は「黄奇蘇新(こうきそしん)」と呼んだ。一切の瑣末を省けと。

一つ一つの出来事や人物は、大きな概論として括られることを拒んでいるように感じられる。が編集してそれを説明しようと知らず知らず編集者は概論を所望するようになる。今年は出来るだけ括るのをやめたかった。本作は幾多のスケッチのピースを土台にしたパズルのようなもになる筈である。ゆえにそれがどういう意味を持ったものとして像を浮かび上がらせるかは皆目分からない。このご時世にあってはスレスレのものをテーマとして設置してある。賛否が囂々と寄せられるのは覚悟の上だがそれを避けて通るようなもの等、後世に対して価値があるだろうか?とも思う。

前作は上映の為各地を廻っているが、上映後数人の観客の方から「現実は分かりました。で、どうしろというのですか?」「あなたは悲惨な事実を見せてどうしたいのですか?」という声を頂くようになった(大抵は団塊の世代の方だ)。たしかにもっと希望となるべきものを撮れば良かったかとも思ったが、浮かび上がったパズルから何を見るかはこちらの与り知る処ではなく、そこから省みてどんな行動を起すのかは、無責任にそう問うたご当人の問題である。…が、この場を借りて僕自身の考えを僅に述べておくことにする。それは「国土」から「産土」への価値観の顛倒、いや回帰ではないのか、ということだ。「戦後レジームからの脱却」などの語彙では本質を見失う、言うなれば明治レジームからの脱却を図らなければならないのではないかとも思う。僕らは明治への入り方を多いに間違ったのだと思う。

今から江戸時代に戻ることはできないが道しるべとなるヒントは、福島の紙漉職人西森さんが言うように、個々人が「調度良さ」を探すことではないのだろうか。彼が水と繊維との混じり具合を探求した果てに吐く言葉はとても重い。ただ過去を礼賛するのではなく新しいものと混ぜること。つまり、漉くこと。その漉き方が問われている。

この100年余り、金の追求で現在の姿、国土が出来上がったのだろうが、経済の持続的発展というフレーズも今や空虚である。そもそもを考えるべきだ。経済(エコノミー)という語は、オイコスとノモスという言葉の合成であり、家計や家、地域をどうやりくりするか、考えるか程度の意味である。つまり産土という語に近いのである。

天下国家を嘆いてだんまりを決め込むのではなく、或は様々な悪党たちの村を妄想してやおら批判にあけくれるのでもなく、ひょっとこのように裸になり森で踊ってみることの方が大事ではないのか。ようは一人一人が漉くという態度で生きることが大事なのであり、それが緩やかにまとまり、結状に展開していって欲しい。願わくは、その探求の初動の契機に「産土」の二文字が入っていて欲しい。主語を自分に住まう地域に変える事で、吐く言葉もとるシグサも変わるのではないか。

…自分の考えはもうたくさんだが、最後にもう少し書いてみる。

鹿児島の民俗学者から聴いたのだが、共産圏のラオスでは軍人が皆伐を断行しつづけているが、山の上だけは祟りを恐れ残すのだという。それをピ信仰という。はたまた今回の参加作家であるイギリス人のルーファスが、神山のどこかの山の上で散歩中、突然恐怖に襲われて廃れた神社に手を合わしたのだという。彼は無神論者である。…なぜそんな不合理なことを未だに人はするのだろうか。

旅を続けて思うことがある。

日本は、どこまでも開発され過ぎている。橋梁は海にそびえ山はトンネルだらけだ。原発の付近に立って見ると賛否を云々する前にどこか異様な、地獄と形容したくなるような感覚に襲われる。かつての聖地はガソリンスタンドに塞がれ、参拝日は忘れられ、山の神・田の神の繋がりも混線脱線し捩じ切れて森は廃棄物に覆われ尽くす。そこで素朴に思うことがある。

ーカミがそこにいるならなぜ怒らないんだろうか、と。

祟りは、まだあるにはあるのだ。いくつかの事例も聴いたし、自分自身ニソの杜の奥がに入り込んだ後、なにか変な感じがあった。たしかに羽田空港や大手町の将門の首塚みたいな例外はある。があちこちで産土は糊塗されつづけている。怒っているという話しも聞いたこともある。

だがカミはなぜ人間の開発を拒まないのかそれが不思議だ。僕の暫定結論は以下だ。人はそれでも、祭祀をしつづけているからだ、と。習合の習合を重ね、変遷を繰り返し、神と仏の首を相互にすげかえても、人は祈り続けてきたのだ。無論祈れば何をしてもいいというわけではない。が、何かを恐れ敬う気持ちがある限りにおいて、僕らは守られているのではないか。…産土は僕らをまだ見捨ててはいないのだ。

長岡参

 

12 2月 ’14 産土