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凡百の無駄な言葉で隙間を埋めようとするよりも、

ひとつの力強い具体が、そこにあれば良い。

 

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時を遡らせて、福島キャラバンの様子を紹介する。

撮影日は、9月18日。神山から松茂まで車で行き、そこからバスで神戸空港。

スカイマークで羽田まで行き、荷物がかさむためリムジンバスで東京駅迄。

今度は新幹線で那須塩原まで向かい、そこからやけにデカい予定外のレンタカーを借りて

深夜にほど近く、民宿「駒口」に到着した。

 

この写真に写っているのは、曲げわっぱを作る職人、星寛さん(85)。

この地方で「ネズコ」と呼ばれる黒檜で、水桶や弁当箱などの曲げものを作る。

野本寛一先生の著作で紹介されているのを見てから、どうしても尋ねてみたかった。

奇遇にも星さんは駒口の一家の親戚であるいう。

 

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星さんの作った曲げわっぱ。1人でたんたんと、作り続けている。

古いものにこだわるのではなく、「あたらしいものをとりいれないとなんねえ」と

何度も繰り返されていたのが印象的だった。

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取材目的であったカロウトという箱を見せてもらえた。

これは嫁入りの時に、嫁入り道具して持って来た物で、着物等々の私物を入れて一生使い、

死後、棺桶にもなるというものである。が、土葬の習慣が終わってからは、こうして

物置にしまわれていることが多いという。

 

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加藤さんに見せてもらった鹿放ヶ丘の古い地図。

ここは開拓前、陸軍の演習場跡地で、多くの開拓者がその弾をひろって臨時現金収入にしていた。

ちなみに僕が子供の頃も、小さい弾をいくつも拾って遊んだ記憶がある。

 

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近くの若月さんの牛小屋。

四街道で育てられた牛が、徳島に買われ、乳牛になるまで育てられたと聴いた事がある。

まさに、「牛の子の旅」である。

 

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いつも歩いていた小道。

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この原っぱが、いつまでこの光景であるだろうか。

 

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キャラバン隊が赴いた時、鹿放ヶ丘の慰霊祭が行われていた。

この中央のドームに、名も知れぬ人々が「土」に還って眠っている。

 

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こんな偶然があるものだろうか。

開拓者の1人、峯野芳夫さん。

なんと、神山鬼籠野の出身だという。

15の時に、万歳三唱で送られて、みなと同じく訓練のため茨城の内原に行き、

その後鹿放ヶ丘に根付いた。

 

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自分の歴史を辿ることは、父母とその先の来歴を辿ることだ。

 

 

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福島から少年義勇兵として出兵し、開拓団として鹿放ヶ丘に根付いた加藤昌司さん。

僕も子供の頃から知っているが、ちゃんと話しを聴いたのは初めてだった。

「福島に残っていたら銀シャリいっぱい食えた」というが、

苦惨の連続であった開拓をどうして続けて来れたのか、自分でも分からないという。

10年以上前に他界した僕の祖父が、彼ら開拓の人々の教官の1人であり、

祖父の話しを色々と聴いて、妙な気持ちがした。

 

鹿放ヶ丘

僕のふるさとである、千葉県四街道市鹿放ヶ丘をキャラバンで巡った。

ここは森も山もない、場所である。