~島根キャラバン、ショート・ルポ。

Photograph  by John Cho

 

―島根県吉賀町柿木村

ここは何かがおかしい。いや、ネガティブにではなく、いい意味で。

人々の意識レベルが高過ぎるのである。

 

 

 映像を撮るということ。無論、それは予算と時間と体力に左右される。

そうである以上、ドキュメンタリーと言いつつ全貌を記録できる訳ではない。

そして、もう一つ今までモヤモヤしつつ言語化できなかったことがあるのだが、

撮影者は「面白さ」に従属しているということがある。ただ、興味本位と云っていい。

ゆえに、「面白さ」の域内から逃れることがどうしてもできない。それが仕事の中心となる。

別にジレンマというほどのものでもなく、あたりまえのことだが、不可避ではあるということだ。

 

Photgraph by Mile Nagaoka

 

あらゆることに忙殺されていた折しも神無月、なんの因果か神在月と一県だけ呼び名が変わる場所に、赴くことになった我らがキャラバン隊。今回の外国人作家は、マレーシアの映像作家ジョン・チョー。広島で合流し、そのままほとんど対向車も後続車もない中国自動車道を疾走した。

 

Photgraph by Mile Nagaoka

 

 ―島根県吉賀町柿木村

ここは何かがおかしい。いや、ネガティブにではなく、いい意味で。

 

結論から云うと、人々の意識レベルが高過ぎるのである。

「過ぎる」と今書いたが、彼らはそれを「あたりまえのこと」だと言う。

が、それを知りうる限りの“一般レベル”と比肩してみた時、明らかに度が過ぎている。

FB用のルポなので詳細は省くが(詳細はシンポジウム時に配布する資料等々で)、なぜそんなことが可能なのかという「?」を、目をしばつかせて追うキャラバンになった。

 

Photograph  by John Cho

 

元柿木村の役場で働いていた福原圧史さん、63歳。現在は農家をしながら、「NPO法人ゆうきびと」という組織の会長をされている。彼の畑で作業をしている手を止めてもらい話しを伺ったのだが、その風貌からはおよそ行政的佇まいを感じさせない。しかし、ただの農家ではない理知的な瞳がこちらを見つめていた。彼は柿木の大井谷棚田で実験的に行われたトラスト制度/オーナー制度の立ち上げ者として、知る人ぞ知る存在である。

 

彼の口から出て来る言葉は、およそ行政的なこととは無縁であった。いや、立脚点の相違というべきか。その立場にあったものにしか知りえない情報の質と量を土台にはしているはずだが、しかし一人の農家として、一人の村人としての自負を込めた言葉であることを強く感じる。

 

ー「食品」と「食べ物」は違うという。ただ、「食べ物」を作るだけであると。「食べ物」に農薬がいるのか?それを子供たちに食べさせたいだけだ。農薬を使って一番被害にあうのは、農家だ。やめなければいけない一番の理由は、そこにある。頷く。今までのキャラバンを通して、ここまで洞察の元に吐かれた言葉を聞いたことがなかった。できることなら、インタビューのまるまるをノーカットで使いたいと思う。

 

彼の取り組みから30年。今や多くの人にその考え方は共有されている。この地の小学校中学校の給食では、80%以上地元の食材の使用という驚異の数値を誇り、かつ多くが理念ベースのみに堕していそうな食育を、実際に郷土愛に繋げるために子供たちに施しているのだから驚きだ。小学校の給食を取材したが、子供たちは誰一人残さずに完食していた。栄養教諭も平然と話しているが、とてつもないことだと思った。いや、他にもありとあらゆる人が、カフェのオーナーや、地域再生のためにNPOを立ち上げられた自動車業の社長や…ありとあらゆる人が、平然と「あたりまえ」だという。とどのつまりはiターンで農家をしている30代の女性への取材だった。福原さんからの大きな影響を認めつつも、「これから死ぬ人に頼り切っていてもしょうがない」と壮語する。しょうじき、めんくらった。すごいな、と。

 

問題がある、それに悩む。そこまではどこでもしている。が、ここの人々は、その問題を、自力で解決しようとしている。そこに陰険さはない。どこまでも闊達な朗らさがある。美学や流行の追従ではなく、一番必要なことからやる。そのために人生を使う。日本の田舎の未来に、ほとんど始めてといっていいような、明確な「未来」を感じた。

 

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【森と暮らしキャラバン第二回 長野飯田、山梨早川町ショートルポ】

 

ー忘れないうちに。

 

今朝ほど、新宿からの夜行バスで徳島に辿り着き、Dの迎えにより神山に戻った。それらすべてが幻であって、この家から一歩もでなかったかのような錯覚に囚われる。数名しかいない極度に鄙びた村から新宿の夜の雑踏へとテレポートする感覚は、なんとも形容のしようがない。自分が相当久しぶりに東京に立ち寄ったことも、その感慨を幾分強めてはいるが、蒸し暑く明るすぎる夜空、そしてそこにプカプカと浮かぶネオン光に照らされた入道雲の断片、行き交う多様かつ一様な人々、それらに若干の寒気を覚えつつ、いつもの山間に立ち戻り、倒れ込んだ。

 

痛風の発作後の甘い痛みと、巻き爪の悪化に伴われた、長いようで短いこの一週間は、レンタカーを借りた名古屋から長野県飯田市遠山を抜け、山梨県早川町に至る旅であった。赴く前から、気が重かった。飯沢耕太郎の『イルカと墜落』ではないが、行く一週間ぐらい前から「42」という数字が都度都度目につき、嫌な感じが少なからずあったのと、一週間前から痛風発作が出て、靴を履くことすら出来なくなってしまっていたからだ。一歳未満の子供との別離がいつになく後ろ髪を引く。

 

そんな旅ー。

 

図らずも、長野は父方の故郷であり、早川は母方の遠い先祖の土地だと出発直前に母に聴いた。母の旧姓は「加倉井(かくらい)」と云う。水戸の一部の地域にのみある名前で、加倉井姓を名乗る前は、波木井と云った。日蓮を匿ったと言われる波木井実長(南部実長)を祖とする家系で、山梨県の広大な土地を領し、日蓮を追っ手から匿ったゆえ、加倉井とその子孫が名乗ったとも言われる。ルーツを探る等という目的は皆無だった筈なのに、なにかザクっと引っかかってしまうような感覚。不思議と未見感がなく、実家に帰ってきた時のような感興を催した。

 

ー忘れないうちに。

 

前回の徳島県木頭村もすごかったが、今回もまた例に洩れず、途方もなくすごかった。日本の「森と暮らし」をテーマに据えると、ここまでディープな辺境に飛んでいくものか。ある著名な映像作家から肩書きを「辺境活動写真家」に変えろ、と言われたがさもありなんという日々。はたまた『日本辺境論』というのがちょっと前に売れたが、僕の赴く先は、真正の辺境in辺境と洒落ている。

 

底稲集落

 

 

長野県飯田市の遠山と呼ばれる山間の盆地がある。イリ盆の日に入ったため、蝋燭や提灯が所々で揺れていた。そこで最も記憶にのこっているのは、底稲集落という名の廃村のことだ。無論、今はもう人は住んでいない。誰かに村だった、と言われなければ、ただの雑木林だと思って看過してしまう。いや、看過等できようはずがなかった。そこは荒れに荒れてしまった山道を、30分近く決死の覚悟で登らなければならない場所にあるのだから…。廃墟と化した神社と、神主の子が売ってしまった神木の切り株。鹿や猿が荒らしたと思われるビンや缶や小さな生活用具がそこらじゅうに点在していることが、かつての村を辛うじて想起させる。鹿の口によって丸裸にされた杉や白樺の木々の僅かな隙間に目をやると、うっすらと家らしきものが見えてくる。

 

緑川さん

 

 

ここに案内してくれた緑川実男さんは、この集落最後の最後まで残った家族の一人であり、最も年の若い山の下への廃村による移住者で、今は土木建設業を営まれている。パソコンマニアらしく、自作PCの話が出る。Core2のi7に近いうちにしたいと言われ絶句する(笑)彼はまだ只独で年に数度か、この村を訪れている。お父さんが残してくれたという様々な樹木らを、そのまま見捨てることが出来ないのだと彼は言う。その目には諦念、というよりも怒気に近いものがあるように思われた。

 

茂倉集落

 

 

山梨県南巨摩郡早川町、前述したように日蓮の逸話からある種の聖地となっている町。ここもかつて、秘境中の秘境と呼ばれ、陸の孤島と化した集落が数多く存在する。奈良田というダムに沈んだ集落出身の深沢守さんから、奈良田には信玄のハッパ(=忍者)が住んでいた説があると聴く。ダムになるにあたって古い家を取り壊した時、天井から大きな仕込杖が出てきたそうである。温泉を経営しながら古参の猟師でもある彼の同級生が、早川の中心部と奈良田の間から山へかなり進んだ山中にある茂倉集落に住む深沢礼子さん。彼女に頼み、数週間前に凡そ50数年ぶりに催したという雨乞いの儀式を再現しもらうことになった。雨乞い、である。誰が21世紀の只今にそんなことを未だにやっていると想像できるだろう。茂倉に着くと、カイトバタケ(傾斜地にある畑)の中に様々な野菜が植わっており、塗炭屋根の建物が散見できる。はるか昔から、というよりは比較的新しく開拓された集落なのだろう(といっても半世紀~一世紀はあるだろうけども)。

 

茂倉の90代の老婆

 

 

深沢さんの号令の下、続々と村人が集まってくる。みな一様に背丈が小さい高齢者である。後で訊いたところ、村人の8割方が集まってくれたようだ。なんという結束。そう、ここは結束で持っている。Iターン等の部外者が入ってくることになるとしたらどう思うか?と尋ねると、無理ではないが村の行事や仕事を共にやってくれなければ無理だという答えが帰ってきた。地方の村での自給自足生活で、夢の桃源郷をと望む都会人間との乖離がここにはある。強烈に。村人たちは神社の境内をグルグル回りだし、「せ~をだして~たも~れ~」と輪唱し始めた。手にはバケツやガラス瓶などを持ち、それを叩きながら回りだす。天狗やお天道様に祈るのだという。彼らの旋回が終わった途端、雷が轟音を立てて落ち、雨が降ってきた…。

 

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